中東福祉会の物語 ~The Story of Chutō Welfare Association~
1970年代、新潟県における障害者福祉施策は、寺泊町(現長岡市)のコロニー白岩の里に集約されていました。そこは500人もの人々が暮らす大きな入所施設であり、県内各地から集まった人々が一つ屋根の下で生活を営んでいたのです。
やがて国際障害者年が訪れ、「地元で暮らす」という新しい理念が芽吹きました。大規模なコロニーから、県内13か所に分散された50人定員のミニコロニー施策に転換へ――それは、地域に根差した暮らしを取り戻すための挑戦でした。
五泉市においても「ふなおか学園」の親の会が、その理念に心を動かされました。18歳を迎えれば学園を卒業しなければならない子どもたちの未来を思い、親の会は建設地を求め、誘致に奔走しました。しかし条件は厳しく、10万平方メートルの土地を必要とする農村型ミニコロニーの構想は、容易には叶いませんでした。そこで選ばれたのが、桑畑の広がる川東地区――現在の「いずみの里」の地でした。
法人「中東福祉会」の名は、中蒲原郡と東蒲原郡の頭文字から生まれました。その設立は11の市町村民の寄付によって支えられ、世帯ごとに300円以上の募金が集められ、企業や団体からも特別寄付が寄せられました。まさに地域の人々の手で築かれた社会福祉法人だったのです。
その後も歩みは続きます。1994年には特別養護老人ホーム「菅名の里」が開設され、1999年には市の中心部に「五泉中央デイサービスセンター」が誕生しました。この年、職員たちは心を一つにして法人理念を紡ぎました。
「私たちは、利用者の皆さんが住み慣れた地域の中で自分らしく安心して暮らせるために、常に利用者と共に考え、誠実さをもって福祉サービスを提供いたします。」
この言葉は、創業者の思いではなく、職員総意の誓いとして刻まれました。
中東福祉会は、地域の人々が寄り添い、見守り、共に築き上げた法人です。その歩みは、単なる沿革ではなく、地域と人々の物語そのものなのです。
≪文責≫
令和7年12月
社会福祉法人中東福祉会
本部長 佐藤郁男







